こんにちは、ダイハツ探検隊です!
第4回目となる今回の探検先は「欧州」です。
皆さんは、かつてダイハツが欧州でクルマを販売していたことをご存じでしょうか?
今回の探検は、海外事業に携わっていたダイハツOB・芝池さんへの取材がきっかけでした。
今ではあまり知られていませんが、ダイハツのクルマはイギリスやドイツをはじめとする欧州の各国で販売され、多くのお客様に親しまれていました。
名だたる自動車メーカーがひしめく市場で、ダイハツはどのような挑戦を続けてきたのか。
今回の探検を通して、今では日本で語られる機会が少なくなったダイハツの歴史や、今も現地で愛され続けるクルマたちの姿が見えてきました。
それでは、探検スタートです!
第1章 海を渡った「小さなクルマたち」
欧州の街角には、かつてダイハツのクルマが溶け込んでいた。石畳を走る「クオーレ」、雪道に向かう「テリオス」、ラリーで奮闘する「シャレード」、ワインディングロードを疾走する「コペン」。日本から遠く離れたその土地で、どんな足跡を残したのか。
今回は1960年代の第一歩から、2013年の新車販売終了まで、その軌跡を皆さんと一緒に探検してみたいと思います。
まずは道をつくる
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話は1965年にさかのぼる。ダイハツがイギリスへ送り出したのは、「コンパーノ・ベルリーナ」。日本車として初めてイギリス市場に渡った1台だった。この挑戦は、やがて欧州へ続く長い道のりへとつながっていく。 |
コンパーノ・ベルリーナ |
時代を追い風に、主役はシャレード
1970年代に入るとダイハツは輸出体制を強化し、欧州市場への本格的な挑戦を始めた。小型四輪駆動車「タフト」や大衆乗用車「シャルマン」の輸出を開始し、販路を広げていく。
1978年には初代「シャレード」を欧州市場に投入、軽量で、燃費が良く、しかも実用的。当時の欧州では二度のオイルショックを経て、省燃費への関心が高まっており、シャレードは時代の追い風も受け、好評を博した。ただし、シャレードが見せたのは燃費の良さだけではない。現地販売会社の支援要請に応える形で始まった海外ラリーへの挑戦では、たくましい姿を見せた。1981年のモンテカルロラリーではクラス優勝を飾り、欧州の人々に「丈夫でよく走る小さなクルマを作るメーカー」という印象を残した。
【海外ラリーでの主な戦歴(欧州)】
| 西暦 | イベント | 車種 | 成績(最高位) |
| 1978年 | WRC※アクロポリスラリー | シャルマン | クラス6位・総合24位 |
| 1979年 | WRCモンテカルロラリー | シャレード | クラス8位・総合86位 |
| 1980年 | WRCモンテカルロラリー | シャレード | クラス2位・総合38位 |
| 1981年 | WRCモンテカルロラリー | シャレード | クラス優勝・総合28位 |
※WRC;FIA World Rally Championship(ワールドラリーチャンピオンシップ)
欧州で商売するための足場づくり
輸出台数の増加に伴い、舞台裏も忙しくなる。1979年にはベルギー・ブリュッセルに「欧州駐在員事務所(FRO)」を設立し、情報収集や認証取得に対応した。同じ年、輸出車両の配送基地「神戸センター」が完成。さらに1982年から1989年にかけて、オランダ、オーストリア、ドイツにダイハツによる出資拠点を設け、販売網を整備していった。
主役が変わっても、基本は「小さなクルマ」
1990年代初頭の主力車種は、「クオーレ」「シャレード」「アプローズ」「フェローザ」「ロッキー」。
時代が移るにつれ、その顔ぶれも少しずつ変わっていく。長らくダイハツの小型車を代表してきたシャレード。そのバトンはシリオンへと渡り、タフト、フェローザ、ロッキーが築いたSUVの系譜はテリオスへと続いていく。
また、2000年代に入ると「YRV」「エクストール」「コペン」「トレヴィス」「マテリア」も海を渡った。
そして2007年、欧州向け輸出台数は6.5万台に達し、長い歩みのなかでのひとつのピークを迎えた。
次の道へ
しかし、半世紀近く続いた欧州での挑戦も転機を迎える。
2011年1月、ダイハツは海外事業を再構築し、経営資源を「欧州への完成車輸出」から「ASEANにおける現地開発・現地生産」へ移す方針を示した。
欧州でのCO₂排出量規制強化に対応するためのコスト増や、ユーロ安・円高による採算悪化もあり、日本からの完成車輸出が事業として成立困難という判断によるものだった。
価格を抑えた小さなクルマに、増えたコストをそのまま載せるのは容易ではない。小さいクルマだからこその強みが、小さいクルマだからこその難しさに変わっていった。
そうして欧州での新車販売は2013年1月で終了。約半世紀の挑戦は、ここで一区切りを迎えた。
しかし欧州で培った経験は、その後の海外事業へと引き継がれていく。
第2章 心臓はダイハツ
ところで、欧州に残るダイハツの足跡は、ダイハツブランドの「小さなクルマ」だけではない。ボンネットを開けると、意外なクルマにもダイハツの技術が息づいている。ここからは、少し珍しい“いとこ”を訪ねてみよう。
SADO550
SADO550の車体とシャーシ
最初は「SADO550」。「メイド・イン・ポルトガル」という構想を基に設計・生産されたマイクロカーである。この小さなクルマにダイハツ製パワートレーン(エンジンはハイゼット用AB型)が搭載されたきっかけは、ダイハツに届いた1通のエンジン供給依頼の手紙だった。
PORTARO
続いては「PORTARO」。
1975年から生産されたポルトガル製の四輪駆動車。ルーマニアARO社設計の車体・足回りに改良を加え、ダイハツ製パワートレーン(エンジンはDG型・DL型)などと組み合わせた。
「PORTARO」の詳細はこちら↓
Portaro, o primeiro todo-o-terreno português – Museu do Caramulo
ZEBRA
ZEBRA
「ZEBRA」は、ダイハツが供給したパワートレーン(エンジンはCB型)などをベースにギリシャで生産されたユーティリティビークルである。取り外し可能なキャンバストップを備えた荷室が特徴で、1981年から1985年まで生産された。
INNOCENTI各車
INNOCENTI TRE CILINDRI 発表会(1982年)
そしてイタリアのイノチェンティ。スクーター「ランブレッタ」でも知られる同社では、1982年から1993年にかけて、さまざまなダイハツ製パワートレーン(エンジンはAD型、CB型、CL型、EB型、EF型)を搭載した車が生産された。車体は違っても、その鼓動はダイハツ。こうした縁から「シャレード デ・トマソ」へ物語はつながりますが、それはまた別の機会に。
第3章 欧州を駆け回ったダイハツ社員
コンパーノから始まり、シャレードやクオーレ、テリオス、コペンへと受け継がれてきたダイハツの欧州挑戦。では、その舞台裏ではどのような人たちが活躍していたのだろうか。
探検隊は、初期の欧州事業に携わり(ベルギーFRO 1980~1985、ドイツDDG 1987~1991) 、のちに海外販売部部長を務めたダイハツOBの芝池さんに、当時のお話を伺った。そこで見えてきたのは、想像以上に泥臭く、そして情熱あふれる挑戦の日々だった。
予算がないなら知恵を出せ!
1980年ベルギー駐在時、芝池さんは欧州のディーラー向け情報誌「DAIHATSU NEWS」の発行を企画した。しかし、制作予算がない。
芝池さん:「取引していた商社や船会社、タイヤメーカーなどに冊子に広告を入れてもらえたら、欧州での販売が2割伸びます!と言ってお願いしてまわると、みなさんとても前向きに協力して頂き、なんとか発行にこぎ着けることができたんです(笑)。」
サッカー界のスターの愛車はロッキー
しかし芝池さんの挑戦は、それだけではなかった。探検隊が思わず驚いたエピソードがある。
芝池さん:「1989年、DDG出向中に当時世界最高峰リーグと呼ばれたイタリア・セリエAの強豪インテル・ミラノのローター・マテウス選手、アンドレアス・ブレーメ選手、ユルゲン・クリンスマン選手にロッキーを無償で貸し出したんだ。」
ローター・マテウス選手は後にバロンドール(世界年間最優秀選手賞)を受賞、アンドレアス・ブレーメ選手は1990年ワールドカップ決勝で優勝を決定づけるPKを決めた。また、ユルゲン・クリンスマン選手も同大会決勝トーナメントのオランダ戦でマン・オブ・ザ・マッチ(MOM)に選ばれるなど、いずれも世界を代表するスター選手であった。
DDGはロッキーを無償貸出する条件として、3選手がロッキーと一緒に写っている写真を使用した小冊子を制作、PRに活用したという。スター選手の人気を販売促進へ結び付ける。その柔軟な発想は、欧州市場でロッキーを知ってもらうきっかけとなった。
欧州から届いた、コペンへのラブコール💌
2002年のジュネーブモーターショーへの出展をきっかけに、コペンは欧州でも注目を集めた。
芝池さん:「現地メディアの記事やお客様の反応を集めて、関係部署や当時の副社長を説得しにまわり、なんとか欧州への輸出をOKしてもらったんだ。」
その熱意が実を結び、2003年にドイツでコペンの販売が始まり、予想通り好評を博した。
ただ欧州で一般的な左ハンドルではなく、右ハンドル、排気量は660ccでの販売だった。
すると現地の販売店やお客様から「左ハンドルのコペンが欲しい!」「パワーもほしい」という声が数多く寄せられ、芝池さんはその熱い想いをなんとか形にしたいと、経営陣と開発陣へ粘り強く交渉を続けた。採算面など課題も多くあったが、現地からの熱烈な要望は関係者を動かし、とうとう1.3Lのエンジンを搭載した左ハンドル仕様の販売へとつながった。欧州からのラブコールは、国境を越えてダイハツを動かしたのだった。
第4章 今も欧州で愛され続けるコペン
キーゼツ(Herr Bernd Kiessetz)さん
欧州での新車販売が終了してから10年以上。それでもドイツをはじめとする欧州では、今もコペンを愛する人たちが集まり、ツーリングやイベントを楽しんでいるという。
探検隊は、ドイツで当時ダイハツディーラーを営み、今でもコペンユーザー会の活動にも関わるキーゼツ(Herr Bernd Kiessetz)さんと、コペンのインターネット・フォーラムを共同運営するクリューガー(Herr Andreas Krueger)さんからコペンへの想いを伺うことができた。
欧州にいた!"筋金入り"のファン
キーゼツさんは1994年からダイハツディーラーを営み、2003年に初めてコペンを手に入れた。
キーゼツさん:「もう最初見た時から気に入りました!それからは、少なくとも5台のコペンに乗っています。」
数あるクルマの中で、なぜコペンを選び続けるのか。その答えは、実にシンプルだった。
「乗っていて楽しいから!」である。
クリューガーさんが教えてくれたなかまたちも負けてはいない。ドイツでは入手できない1,300ccの右ハンドル仕様をイギリスから輸入した愛好家や、日本から新しいコペン(LA400)を輸入し、大変な手続きを経てドイツで公道登録した人もいるという。そこまでしてでも、自分の好きなコペンに乗りたい。愛車を迎える行動力に、探検隊も驚かされた。
国境を越えてコペンが大集合!
クリューガーさんによると、コペンユーザー会の登録ユーザーは約400〜500人。毎年のコペン・ミーティングには約70〜100台が集まるという。
クリューガーさん:「オランダ、ポーランド、フランス、スイス、ベルギー、イギリスなどからコペンが集まります。ミーティングでは必ずツーリングにも行きますよ。」
企画・運営はメンバーのボランティアが担う。国境を越えて集まり、一緒に走る楽しみを、自分たちの手でつないできたのだ。
キーゼツさんも、自ら運営に携わったタウヌス地方のツアーを振り返る。
キーゼツさん:「みんなとコペンでドライブを楽しんだ、あのときの景色は格別でしたね!」
同じクルマを愛するなかまと一緒に走った景色は、年月がたった今も色褪せることはない。
コペンが愛のキューピット
今回の探検で、心に残るエピソードがあった。コペンをきっかけに出会った、一組の夫婦の物語である。
二人が出会ったのは、2007年にDDGが開催したコペンイベントだった。同じクルマを愛する者同士、コペンの話で意気投合し、その後、二人は結婚した。挙式では、それぞれが所有するコペンも二人の門出に寄り添ったという。
クルマは単なる移動手段ではない。ときには人と人をつなぎ、人生の思い出を生み出す存在にもなり得る。
コペンは二人にとって、かけがえのないクルマとなった。
コペン、Forever Love♡
最後にキーゼツさんは、ダイハツへの願いを聞かせてくれた。
キーゼツさん:「ダイハツがコペンを復活させてくれたら素晴らしいですよね。もちろん、欧州での販売もです!そうなったら、すごく幸せだろうなって。」
今回の探検を通じて見えてきたのは、欧州で販売されたクルマの歴史だけではなかった。
そこには国境を越えて人と人をつなぎ、多くの想いを残してきたダイハツの物語があったのである。
そして、クルマを愛する人がいる限り、物語は終わらない。
探検隊は、新たな物語を求めて次の探検へ向かうのであった。
(文:江間、櫻木)
編集後記
いかがでしたでしょうか。
今回の記事は、探検隊メンバーによる共同取材をベースに二人の隊員が記事化してくれました。若手の皆さんにとって、ダイハツには欧州のイメージは薄いと思いますが、実は昔から世界各国で事業を展開していました。本記事は、その歩みを築いてきた先輩たちと、世界中でダイハツ車を愛してくださるお客様に励まされながら進めた3か月にわたる探検の記録です。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
また、探検隊記者は社内有志による熱意あふれるメンバーで構成されています。普段はものづくりやサービスを通じてお客様に寄り添っていますが、この紙面でも新たな形で、社員や一般の皆さんにメッセージを届けたいという思いで活動しています。私たちはプロの記者ではありませんが、その情熱は誰にも負けないつもりです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。これからも皆さまに楽しんでいただける探検を続けてまいります。今後とも温かいご支援をよろしくお願いいたします。
隊長 谷隅
参考資料
・ダイハツ70年小史
・ダイハツ80年のあゆみ(燃えて駆けて)
・ダイハツ90年のあゆみ
・ダイハツ工業100年史(通史・資料集・百年百話)
・ダイハツ工業110年史
・DAIHATSU NEWS EUROPE Issue No2
・DAIHATSU NEWS Vol01 No3
・WRC+PLUS 2008年6月号 2009年3月号(三栄書房)
・AUTOMÓVEIS PORTUGUESES(MUSEU DO CARAMULO)
この記事の登場人物

ダイハツ探検隊 隊長(今回)
谷隅さん(製品企画部)

ダイハツ探検隊 隊長
若林さん(「三つの誓い」改革推進部)

ダイハツ探検隊員
江間さん(流通企画部)

ダイハツ探検隊員
櫻木さん(DX推進部)

ダイハツ探検隊員
齋藤さん(VC事業部)

ダイハツ探検隊員
若林さん(車両開発部)

ダイハツ探検隊員
田中さん(ユニット生技部)

ダイハツ探検隊員
藤原さん(TAR生技部)

ダイハツ探検隊員
川北さん(総務部)

ダイハツ探検隊員
石田さん(経営支援部)

ダイハツ探検隊員
上垣内さん(経営支援部)

ダイハツ探検隊員
高橋さん(経営支援部)








